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新生!ミツボシビール~126年の想いをのせて~

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盛田金しゃちビール誕生とその背景
盛田金しゃちビールは、大手ビールにない品質・特徴のあるビール造りを目指し、平成8年(1996年)創業したクラフトビールメーカーです。 創業時からの「ランドビール㈱」、そして「盛田金しゃちビール㈱」と社名の変更を経て、平成20年9月グループ内の統廃合を受け、「ワダカン㈱盛田金しゃちビール事業部犬山工場」として現在まで製造を継続しています。しかし、その歴史は日本にビールが広まり始めた明治十年代後半にまでさかのぼることが出来ます。これは当時「三ツ星ビール」という名前でビールの試醸に成功していたという物語が存在するのです。
●100年の夢
この歴史を語る上で、盛田家11代久左衛門、命祺翁の存在を抜きには出来ません。既に1665年から現愛知県の知多半島にある常滑市小鈴谷(こすがや)で酒造を生業としていた盛田家に在って、明治初期より豆味噌や醤油などの醸造品の製造を開始し、地域のため私財を投げ打って学校や郵便局をつくり、さらには当時国内有数といわれた規模のワイン用ブドウ畑を開墾(現武豊町周辺)したり、敷島製パン㈱(ブランド名:PASCO)の創立を導くなど、多大な貢献をした人物です。その彼は、日本にビールが広まり始めた明治17~18年頃、既に「三ツ星ビール」という名前でビールの試醸に成功していました※。しかし、残念なことに世界規模で蔓延したぶどう害虫「フィロキセラ」により、このブドウ畑が壊滅の憂き目にあってしまったのです。地域の雇用を確保するため、ぶどうを作り、ワインを醸造し、常滑焼のボトルで販売する。そしてワインと同様、いや、それ以上にこれから日本で愛飲されるであろうビール醸造を手がける、といった夢が潰えてしまったのです。そこで彼は、このビール醸造の記録を、分家筋に当たる盛田善平(PASCO創始者)に譲りました。そして善平はこの遺志を受け継ぎ、丸三麦酒、さらにはカブトビールへと事業を拡大していったのです。(カブトビールは、昭和初期には全国4位の生産量を誇った。ただ残念ながらこれら全ての商標は、当時事業の中心に携わってた企業等が保有。)この明治時代までさかのぼる祖先が成し得なかった夢を引き継ぎ、その遺伝子を継承したものとして、一過性で出来上がった「地ビール」というものではなく、いわば100年の夢を受け継いだ事業ということを胸に刻まなければなりません。
 そして現代、お客様に喜ばれる高品質のビールを醸造するという祖先の夢を継承し、数あるビールスタイルを守りながら、日本の風土、食文化や日本人の味覚に合った味わいを提供し、日本のビール文化を創造するという想いを「金しゃちビール」に織り込みました。この想いと厳選された原料、木曽川系の地下水を使用し、厳しい品質管理のもとに醸造されたビールは、喉の渇きをいやすだけでなく、香り、味、色をじっくりと味わい、それでいて飲み飽きない骨のあるものに仕上がっています。

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オオタ デザイン ラブ & ピース

  • Author:オオタ デザイン ラブ & ピース

  • 商品企画室、デザイン制作現場から事務担当まで、たまに社長からも、素敵なデザインやパッケージと秀逸な商品企画などを紹介しています。

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